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てぃーだブログ › 安田辰也(やすだたつや)~Sound Life~ › スラッシャー:安田竜次

2020年12月23日

スラッシャー:安田竜次

スラッシャー:安田竜次
(写真左:辰也 右:兄 竜次)

安田竜次
(やすだりゅうじ)

沖縄インディーズバンドが
全国で再クローズアップされはじめたのは
1998年前後(20年ほど前)
・モンゴル800
・地獄車
・ブリーチ
etc...

ハードコア
というジャンルが確立されたのもその頃。

その以前の、1994年の頃。

私の4歳年上の次男の兄である
バイク好きで、日々バイクを走らせていた兄から
「ベース教えて」と言ってきたので一緒に
練習をし始めた。

それから、長男も含めて3名が大好きな
アメリカロックバンド『KISS』
のカバーバンドを結成。

やがて兄弟3名+幼馴染 Dr上原こうじ
の4名で
「UNHOLY」の名前で
沖縄県内でオリジナル曲でLIVE活動を開始。

バイクで爆音流して外で注目されるより
「バンドで爆音流している方が気持ちいい!お前に感謝している」
とよくいっていた。

その後、彼はデスメタル・スラッシュメタルに目覚める。
沖縄ではデスメタルバンド「マグマ」
が沖縄で先駆を切って活動していた。
サポートベースとして竜次はマグマに参加。

当時、宜野湾海浜野外公園で開催されたバンドイベントを最後に、
メタルブームが最高超であった愛知県へ、竜次(24歳)は移住。

専門学校を卒業した安田辰也(20歳)も、同じく愛知へ移住し
そこで共にプロデビューを目指し、作曲活動をしていた。

デモテープも仕上がりようやく、メンバー募集をかけ
LIVE活動を開始しようとした直前だった。

26歳の若さで他界。
(急性脳膜炎)

音楽で人生がかわり
音楽に命をかけた4年間

「俺の人生はスラッシュだ」
と語っていた事がある竜次。

英語で「スラッシュ」とは
・打ちのめす
・早く
などの意味のようだ。
まさに
太く短く早く生き抜いた彼。

安田竜次。
今生きていれば49歳。

私の最高の音楽パートナーであり
いつも厳しく叱ってくれた存在だった。

安田竜次がいたからこそ
私は、音楽・芸能の道に進むことができた。

今もたまにこれは叱られるな〜
と思うことがある
今日この頃(^^;)

映像は、
バンド結成当時、那覇市のLIVEハウス「パロディ」での映像
奥   Gt安田辰也
中央  Ba安田竜次
手前 Gt安田慶
ドラム 上原こうじ

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Posted by 安田辰也 at 13:26│Comments(0)
 
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